安易に「ヤバい」と言わないように気をつけている話
良い意味でも悪い意味でも世間的によく使われるようになった「ヤバい」という表現。私も、ふとした時に無意識に発言するくらいに馴染んでいます。
最近、といってもここ 1 ~ 2年ですが、発言の際に「ヤバい」を使わないように気をつけています。勿論、ヤバい以外の表現が見当たらず、言い淀んでしまうくらいならば素直に言いますが、別の表現が円滑に出てくるならば、その通りにしています。
いつ使う?
ヤバいとは、次のような場合に使われうるものだと思います。直ぐに思いつくものを挙げてみましたが、他にもあるかもしれません。
- 程度が甚だしいとき
- 状況が不都合なとき
一つ目の、程度が甚だしいというのは、良い方にも悪い方にも起こり得るものですので、その両方で使われうるでしょう。例えば、食べたものがとても美味しかったとか、筋トレに精を出して筋肉痛が激しいとか、贈り物に感激したときとかです。最近の体感としては、わりと良い意味で使われる印象があります。
二つ目は基本的に悪い意味で使われます。家に忘れ物をしたとき、欲しい物が高額だと判明したとき、模試の成績が悪かったとき、水たまりでびしょ濡れになったときなどです。
なぜ言わないようにする?
いろいろな表現を使うことで表現力を鍛えたい
安易な表現に傾倒するのは、自身の停滞に繋がると思っています。
自分が不得手とし、理解はできても自発的に使う際に奥底にしまわれている語彙、そういったものを取り出す訓練になり、自分の癖を見直すきっかけにもなるでしょう。
発言の随所で重みをもたせたい
同じ言葉を連発していると、一言ずつの重みが小さくなっていくのでは、と考えています。様々な表現で多角的に表現することで、伝えたい内容に厚みが出てくるはずです。
ではどう言う?
程度が甚だしいとき
「すごい」「とても」「素晴らしい」「激しい」「甚だしい」など、色々な表現があります。
状況が不都合なとき
一言で言い換えるなら、「マズイ」が当てはまると思います。基本そう言い換えて、あとは必要に応じて、別の表現を用いたりするのが理想です。状況が一気に悪くなったときは、「一気に厳しく(キツく)なった」、次第に追い詰められたときは「いつのまにか窮地に...」のような表現ができると思います。